01_「You Can Do Magic」(アルバム:View from the Ground) You Can Do Magic[12,819,184_2017/02/09]
■曲名:You Can Do Magic
■曲名邦題:風のマジック
■アルバム名:View from the Ground
■アルバム名邦題:風のマジック
■動画リンク:「You Can Do Magic」
彼らは1970年代に多くのトップテン・ヒットを生み出しました。
この曲は1980年代で唯一トップテン入りした曲です。
彼らは1970年代に一時代を築いた後、前々作「Silent Letter」は最高位110位、前作の「Alibi」は142位と、セールス的に苦戦していました。
この当時は、俵に足がかかった状態だったと思います。
そこで彼らは大きな決断をしました。
外部ライターから提供された曲を歌おうと決心したのです。
この曲はラス・バラード(Russ Ballard)が提供していますが、以前の彼らにはない売れ線の香りがする曲かもしれません。
また演奏面でも、当時売れっ子だったスティーヴ・ルカサー(Steve Lukather)など、TOTOのメンバーも参加しています。
まさに背水の陣といえる体制で製作されました。
その執念が実り、この曲はシングルチャートの8位を記録しています。
ただ外部ライターの導入は、一時的なカンフル剤となったものの、成功例はこの曲ぐらいだったかもしれません。
元々彼らは自分たちで良い曲を書ける人たちでしたから。
07_「Don’t Let Her Close Your Eyes」(アルバム:Lost & Found) Don't Let Her Close Your Eyes[19,210_2020/02/14]
■曲名:Don’t Let Her Close Your Eyes
■アルバム名:Lost & Found
■動画リンク:「Don’t Let Her Close Your Eyes」
再度未発表曲集からご紹介します。
このアルバムは2015年にリリースされていますが、収録曲の多くは2000年から2011年に録音されたものです。
彼らは1980年代にAOR路線に舵を切りましたが、次第に低迷し1984年の「パースペクティブ(Perspective)」を最後に、スタジオ録音が途絶えました。
それからの彼らは、ライブを中心に活動を続けていたようです。
彼らはライブ・アルバムを11枚残していますが、私も調べるまでそんなにあることに気が付きませんでした。
多くは1990年以降にリリースされています。
当時のライブには、懐メロ企画みたいな現役感のない仕事もあったようです。
しかし2005年ぐらいから、風向きが変わり始めてきました。
ファウンテインズ・オブ・ウェイン(Fountains Of Wayne)のアダム・シュレシンジャー(Adam Schlesinger)など、当時の新進気鋭の若手アーティストからラブコールが送られるようになりました。
再評価の機運が高まり、2006年にはVocal Group Hall of Fameで殿堂入りを果たしています。
ライブで生き延びていたら再評価されたというわけですが、地道な活動が報われて良かったと思います。
ただこの曲などを聞くと、とても2000年以降に書かれた曲だとは思えません。
しかし純粋に良い曲ではないでしょうか。
時代とはリンクしていませんが、エバーグリーンな魅力を持った曲だと思います。
08_「A Horse with No Name」(アルバム:America) A Horse With No Name (名前のない馬) / AMERICA[311,484_2014/04/07]
■曲名:A Horse with No Name
■曲名邦題:名前のない馬
■アルバム名:America
■アルバム名邦題:名前のない馬
■動画リンク:「A Horse with No Name」
彼らのデビューシングルです。
彼らはこの曲でいきなりシングルチャートの1位を獲得して、一躍人気グループになりました。
よくこんな地味な曲がヒットしたなと思うかもしれません。
しかし当時は、こういう音楽が受ける時代だったのですね。
この曲がリリースされた1971年は、クロスビー・スティルス・ナッシュ & ヤング(Crosby, Stills, Nash & Young)など、こういう音楽が流行っていました。
実はこの曲はリリース当時、ニール・ヤング(Neil Young)みたいだと揶揄されたんだそうです。
パクリではないけれど、作風は似すぎていると。
曲を書いたバネルも、インスピレーションを受けたことを認めているようですが。
皮肉なことにこの曲は、ニール・ヤングの名曲「孤独の旅路(Heart of Gold)」に取って代わって1位を獲得しています。
実はこのバンドは、ロンドンで結成されています。
彼らはロンドン駐在のアメリカ空軍職員の子弟でしたから、異国の地に住むアメリカ人ということになります。
遠く離れた自国、アメリカの音楽に対するあこがれが強かったのでしょうね。
09_「These Brown Eyes」(アルバム:Harbor) These Brown Eyes[20,208_2015/04/23]
■曲名:These Brown Eyes
■曲名邦題:ブラウン・アイズ
■アルバム名:Harbor
■アルバム名邦題:ハーバー
■動画リンク:「These Brown Eyes」
彼らはこのアルバムで、サーフィン文化に接近しています。
実際このアルバムは、ハワイで録音されていますし。
アルバム名やジャケットもそういう感じですが、曲自体もサーファーに気に入られそうな曲が増えました。
当時サーファー御用達の音楽では、パブロ・クルーズ(Pablo Cruise)が代表的な存在でしたが、このアルバムは少し雰囲気が似ています。
またこのアルバムを最後に、ダン・ピークが脱退しました。
この曲はダンが書いた曲です。
その後ダン抜きでグループを継続しましたが、1980年代後半になると彼らはレコード会社との契約を失いました。
その時にダンを復帰させてトリオに戻れば、録音の機会を与えるというオファーがいくつかあったそうです。
しかし2人はそのオファーを拒絶し、あくまで2人で活動することを選択しました。
一方ダンはグループに戻りたかったらしく、1985年のインタビューでは、また一緒にやりたいと語っていたそうです。
その希望は叶えられず、2011年にダンは60歳で亡くなりました。
かわいそうに思いますが、ダンは薬の問題なども抱えていたらしいので、事情が許さなかったのかもしれません。