03_「Ask the Angels」(アルバム:Radio Ethiopia) Ask The Angels - Patti Smith Group[962_2015/11/22]
■曲名:Ask the Angels
■曲名邦題:アスク・ジ・エンジェルス
■アルバム名:Radio Ethiopia
■アルバム名邦題:ラジオ・エチオピア
■動画リンク:「Ask the Angels」
セカンド・アルバムからの選曲です。
名盤として紹介されるのはファースト・アルバムの方が多いのですが、コアなファンはこちらのアルバムの方を好む人が多いかもしれません。
このアルバムの特徴は、プロデューサーにエアロスミス(Aerosmith)などの仕事で有名なジャック・ダグラス(Jack Douglas)を起用したことです。
この時点でパティは、より強固なロックンロール・サウンドを望んでいたのですね。
後に彼女の夫になるフレッド・ソニック・スミス(Fred “Sonic” Smith)が在籍していたMC5に影響されたようです。
特にこの曲ではやりたいことが、とても明確に表れているかもしれません。
歌詞でも「ロックンロール、それは私が生まれてきた意味」という箇所がありますね。
またこのアルバムからは「パティ・スミス・グループ」名義となり、ソロ名義ではなくバンド名義になりました。
そのせいか前作よりバンド・サウンドがなじんできたように思います。
04_「Because the Night」(アルバム:Easter) Patti Smith Group - Because the Night (Official Audio)[31,455,372_2015/10/02]
■曲名:Because the Night
■曲名邦題:ビコーズ・ザ・ナイト
■アルバム名:Easter
■アルバム名邦題:イースター
■動画リンク:「Because the Night」
この曲は、ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)とのデュエット曲です。
彼女の曲で最もヒットした曲で、UAなどにもカバーされています。
ブルースはニュージャージー出身ですが、パティも一時住んでいましたから、どこかで繋がりがあったのでしょう。
ちなみにこのアルバムがリリースされたのは1976年で、大ヒットした「明日なき暴走(Born to Run)」の翌年です。
力関係的に、ブルースがパティを引き上げたという形になるかもしれません。
一方パティは、このアルバムの前に療養生活を送っていました。
彼女は「Radio Ethiopia」後のツアーで、5メートル近くあるステージから落下して、首の椎骨のけがをしてしまいました。
そのため前作とは、2年もの間隔が開いています。
意図せずスローダウンすることになりましたが、彼女にとって今後のことを考える良い機会になったそうです。
このアルバムはポップ色が強まったことで否定する人もいますが、音楽的にはより成熟してきたように思います。
脱パンクが成功したアルバムではないでしょうか。
06_「Summer Cannibals」(アルバム:Gone Again) Patti Smith - Summer Cannibals[1,175,494_2010/10/20]
■曲名:Summer Cannibals
■曲名邦題:サマー・カニバルズ
■アルバム名:Gone Again
■アルバム名邦題:ゴーン・アゲイン
■動画リンク:「Summer Cannibals」
結婚してからの彼女は、とても幸せな日々を送っていたようです。
前作は「ドリーム・オブ・ライフ(Dream Of Life)」というタイトルで、直訳すると「人生の夢」
そこには「ピープル・ハブ・ザ・パワー(People Have the Power)」のようにメッセージ色の強い曲もありますが、息子に捧げた「ザ・ジャクソン・ソング(The Jackson Song)」など、母性を感じさせる曲が収録されています。
しかし幸せな生活は、突然終わりを告げました。
1994年フレッドが急性心筋梗塞で急逝してしまいました。
そこでつくられたのが、このフレッドの追悼アルバムです。
アルバムタイトル曲では「ねえ、今や私はあなたの親族なのよ」などと歌われています。
一方この曲では、おっかないパティが戻ってきました。
曲名を直訳すると「夏の人食い」ですし、歌詞の中には「地獄に降りていく」という言葉もあります。
ただこの曲はポップですよね。
しかし「Frederick」のポップさとは異なって、ラフな気持ちを無理やりポップなフォーマットに押し込めているような感じがします。
特に3:45ぐらいからのドスの聞いた声は、生々しくないでしょうか。
07_「1959」(アルバム:Peace And Noise) Patti Smith - 1959[79,325_2011/07/07]
■曲名:1959
■曲名邦題:1959
■アルバム名:Peace And Noise
■アルバム名邦題:ピース・アンド・ノイズ
■動画リンク:「1959」
この曲は多大な犠牲者を出した「チベット蜂起」をテーマにした曲です。
映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット(Seven Years in Tibet)」と同じテーマを扱った曲で、こんな曲を出せば中国市場から締め出しをくらうことは確実です。
しかしそこはこの人のことですから、そんなことはおかまいなしです。
この人は「パンクの女王」と呼ばれていました。
当初のセカンドアルバムの邦題は「ストリート・パンクの女王」でしたし。
しかし彼女の音楽自体は、典型的なパンクではなかったように思います。
初期の彼女は、パンクというより切迫感のあるロックン・ロールといった方がいいかもしれません。
当時の彼女にとって、パンクとは下克上のことでした。
貧しい生活から抜け出して、Gloria(栄光)をつかむのだという切迫感が感じられました。
しかしその後彼女は、社会問題に目を向け始めています。
当時チベット問題については、音楽業界からも抗議と支援の動きがありました。
1997年に「第二回フリー・チベット チベタン・フリーダム・コンサート」が開かれましたが、そこにはパティも参加しています。
08_「Glitter in Their Eyes」(アルバム:Gung Ho) Patti Smith - Glitter In Their Eyes[615,338_2008/01/19]
■曲名:Glitter in Their Eyes
■曲名邦題:グリッター・イン・ゼア・アイズ
■アルバム名:Gung Ho
■アルバム名邦題:ガンホー
■動画リンク:「Glitter in Their Eyes」
昔のような攻撃的なギターがうれしい曲です。
さてパティを語る時に、ロバートメイプルソープ、フレッド・スミス以外に、もう1人触れておかなければいけない人がいます。
音楽評論家でパティ・スミス・グループのギタリスト、レニー・ケイ(Lenny Kaye)です。
レニーはパティの古くからの仲間です。
1971年、つまりデビューの4年前の時点で、既に彼女のバックでギターを弾いていました。
その後ほとんどの作品でギターを弾いています。
唯一参加していないのは、彼女の夫がギターを担当した「Dream of Life」だけで、フレッドが亡くなると、また彼女のバックでギターを弾いていました。
ご主人に気を遣ったのでしょうか。
レニーは音楽に造詣が深く、ガレージ・ロックの有名なコンピ「ナゲッツ(Nuggets)」のプロデュースを手掛けたことでも有名です。
音楽評論の分野で秀でていて、曲も書ける多彩な才能に恵まれたこの人は、いつも黙ってパティのバックでギターを弾いていました。
パティのアルバムで最新作は、2012年の「Banga」ですが、そこにも参加していますから、40年以上の付き合いということになりますね。
彼の存在はつつましいながらも、とても大きいと思います。